
サイケデリック医療とは、LSD、シロシビン(マジックマッシュルーム)、MDMA などの幻覚剤を、医師やセラピストの管理下で使用し、薬剤によって幻覚体験を通して生じる「強い意識変容・内省体験」を心理療法に活かす治療アプローチを指します。
1960年代後半に幻覚剤の乱用が社会問題化し研究が中止されましたが、2010年後半から再び臨床研究が開始され、近年、アメリカをはじめとする海外で「サイケデリック医療」が注目を集めています。
それに伴い、日本でも可能なケタミン療法をそれらの幻覚剤と同列に扱うような情報が散見されるようになってきました。しかし、これは臨床精神医学的にも、また日本の医療制度においても、極めて危険な誤解であると考えます。
本稿では、ケタミン療法を健全に行っている精神科医の立場から、医学的背景、法的枠組み、臨床倫理を踏まえて解説します。
ケタミンは本来、麻酔薬として半世紀以上臨床現場で使用されてきた安全性の高い薬剤です。その後、低用量低流量での投与に速効性のある抗うつ効果が報告され、世界的に “interventional psychiatry(介入型精神医療)” として位置付けられるようになりました。
対象は以下のようなケースに限られます:
標準的な抗うつ薬治療が十分に効果を示さない難治性うつ病
重度のPTSDや複雑性PTSD(例:子ども・配偶者を亡くした後の深刻な喪失反応など)
自殺念慮が強く、短期間での症状改善が切実に必要なケース
つまり、治療の必要のない人に対して“脳のアップデート目的”や興味本位の施術を受けたい人向けの施術では決してありません。
日本の法制度では
ケタミンは麻薬及び向精神薬取締法の規制薬物
治療として必要な場合にのみ医師の判断にて使用可能
すなわち、
「脳のアップデート」や「自己意識の変容」などを目的としたクライアントにケタミンを投与することは違法であり、医療法・麻向法双方の観点から成立しません。
しかし、一部ネットの体験記事等で、ケタミン療法は日本で合法であるという記述と共に、まるで誰でも簡単に実施できる治療かの様に述べられている内容が掲載されています。
日本においては、麻薬の使用は医師が治療上必要と判断した場合に限られており、治療が必要ではない人への投与は当然禁じられています。
「ケタミンで脳をアップデート」「クリエイティビティが上がる」といった興味本位での喧伝に繋がっており、精神科医として強い懸念を抱きます。
サイケデリックと分類される薬剤(LSD、シロシビン、MDMA など)は、脳内の5-HT2A受容体やモノアミン系を直接刺激して強い幻覚・感情変容をもたらす物質です。
一方でケタミンは、
NMDA受容体阻害作用(mTOR経路を一気に活性化)
低用量では幻覚作用は極めて弱い
多くの臨床研究では「非サイケデリック作用による抗うつ効果」が中心として扱われる
つまり、作用機序も、臨床位置付けも、サイケデリック医療で使用される幻覚剤とは根本的に異なります。
にもかかわらず、近年「サイケデリック医療」という言葉の中にケタミンが含まれ、あたかも“合法的な幻覚剤”として扱われる風潮があることは、医療上重大なリスクです。
ケタミン投与にて幻覚が生じる場合、むしろ投与プロトコルに疑問があります。
当院を含め、医療目的でケタミンを健全に使用している医療施設では、
低用量・低速度(slow infusion)のプロトコルを採用しています。
これにより、
解離感はあっても、明確な幻覚はほぼ生じない
意識は保たれ、会話も可能
血圧・脈拍などの安全管理を行いながら施行
となります。
逆を言えば、もしも、幻覚が強く生じるような投与が行われているのであれば、
高用量を使用している可能性
急速投与(bolus)を行っている可能性
サイケデリック体験を目的とした不適切な施術
など、
不適切な使用が疑わしいと言わざるを得ません。
強い幻覚作用を狙ったケタミン投与は、以下の問題を引き起こす可能性があります。
高用量ケタミンは依存性が明確に報告されています。
幻覚・妄想・知覚変容が持続する例もあり、精神科的後遺症を残す場合もあります。
慢性的な高用量乱用では、膀胱線維化や記憶障害が報告されています。
このように、
幻覚を生じさせる量や速度でのケタミンの継続使用は、依存性や副作用の観点から非常に危険を伴います。
当院では、ケタミン療法をあくまで最終手段としての医療行為と位置づけています。
最愛の家族の死(配偶者や子供)
重大な喪失体験
重度のトラウマ
長年の治療でも改善が乏しいうつ状態
自殺念慮が強い状態
こうした状況を前にした時に、
「精神科医として何が出来るか?」
「通常の治療だけでは救えない人をどう支えるか?」
という強い問題意識から導入したものです。
決して、娯楽・興味本位・自己啓発目的の施術ではありません。